ゴタバヤ・ラジャパクサは、2019年11月16日の大統領選挙を経て第7代スリランカ民主社会主義共和国大統領に選出され、同11月18日にアヌラーダプラ県の歴史的なルワンウェリサーヤ大塔の神聖な境内で就任宣誓。同人はスリランカの最高職に就く初の非政治家かつ元軍人。スリランカ人民戦線から出馬した同人は選挙で二位に130万票差をつけ、総投票数の52.25%を獲得して勝利。
元閣僚D.A.ラジャパクサの息子で、マヒンダ・ラジャパクサ第5代大統領の弟であるゴタバヤ・ラジャパクサは、1949年に誕生し、コロンボ市アーナンダ高校で修学し、1971年にスリランカ陸軍に入隊。兵役中、マドラス大学で防衛学修士号を取得し、パキスタン、インド、アメリカでも高等訓練を受講。スリランカ紛争中、北・東部で多数の対テロ活動を指揮した同人は、戦闘での勇敢さ及び有能さが評価されラナ・ウィックラマ勲章とラナ・スラパッカマ勲章を授章した他、大統領及び陸軍司令官からの表彰も受賞。1991年に陸軍中佐の地位で退役した後、コロンボ大学でITを学び、その後アメリカに移住し、カリフォルニア州ロヨラ法科大学院でIT技師として勤務した後、2005年にスリランカに帰国。
2005年11月に兄が大統領に選出された後、ゴタバヤ・ラジャパクサは国防省次官に就任。国防次官として、1970年代半ば以来国内で活動するテロ組織タミル・イーラム解放の虎(LTTE)制圧を所管し国に奉仕。在任中、2006年12月、LTTE自爆テロ要員による車両突撃を受けるも、辛うじて暗殺を回避。その後も、2009年5月にLTTEを打倒するまで、同人はLTTEとの戦闘における軍・警察の戦略・計画・調整・調達に極めて重要な役割を果たし続け、国に約30年ぶりの平和をもたらした。国防次官としての国家への貢献が認められ、コロンボ大学から名誉博士号を受賞。
紛争終結時、ゴタバヤ・ラジャパクサは、紛争被災地の迅速な正常化回復に尽力し、北・東部の地雷除去、復興、再定住への軍の関与に加え、元LTTE兵士のリハビリ及び社会再統合を所管するとともに、治安機関の平時の役割への移行を進めながら、国家安全保障を強化し、情報機関を強化するための幅広い活動を指揮。その他、出入国管理局、登録局、民間警備局、沿岸警備庁等自身の所掌下にある様々な政府機関の重要な能力構築を実施。
平和の復活及び経済成長加速への政府の関心の高まりに伴い、ゴタバヤ・ラジャパクサの所管事項に都市開発の責務が追加され、国防・都市開発次官として、国の都市景観を変革するための、目覚ましい成果をあげる野心的かつ遠大な事業を始動。同人の指導力の下、スリランカの都市空間を悩ませていた多数の積年の課題は組織的に対処・解決され、洪水防止と排水管理の強化、低質な集落への高品質住宅供与、公共のオープンスペースの可用性と品質の向上、歴史的建造物の修復、道路や舗装の急速な改善、公共設備の開発、効率的なゴミ処理は、在任中の数多くの成果の一例。同人の取組は、コロンボが南アジアで最も美しく、よく整備されている都市の一つとして賞賛され、スリランカへの認識を変えるのに役立った他、都市空間の変革は、スリランカへの目覚ましい外国投資誘致にも有用となった。
2015年の大統領選挙後の政権交代を受け、ゴタバヤ・ラジャパクサは国防・都市開発次官を辞任。2019年8月のスリランカ人民戦線の大統領候補者指名による政界参入に先立ち、同人は国のより良い未来に取り組む専門家組織「ヴィヤト・マガ」と関連する重要事項への国民意識向上のための組織「エリヤ」を設立。
ゴタバヤ・ラジャパクサ大統領にはイノマ夫人との間に一男(マノージュ)がいる。