第18回 国際交流会議 アジアの未来

2012年5月24日(木)25日(金)東京都内

学生リポート

アジアの未来 日本の自信

金親 伸明
東京大学 経済学部 金融学科 3年 

 「この国には何でもある。ただ、希望だけがない。」村上龍の小説「希望の国のエクソダス」の登場人物の言葉だ。アジアの未来の参加は、この言葉の意味を痛感する機会となった。この会議で多くの識者がアジアの未来を語る上で、共通して日本のアジアのリーダーとしての役割について言及していた。もちろん、その背景にはこの会議が開かれているのが他ならぬ日本ということはあるだろう。しかし、識者の熱い演説からそれが単なるリップサービスであるとは到底考えられない。多くの国が、日本に期待しているのだ。
 ゾアン・ベトナム国家副主席が言うように、日本はASEANとの協力に大きな役割を果たしているし、実際に日本はベトナムにとっての最大のODA供与国である。マハティール・マレーシア元首相が言うように、アジア各国は日本の過去から学んでいる。日本には経済力がある、そして戦後の復興と経済成長を成し遂げたという歴史がある。その意味で、日本はアジアにとって何でもある国なのだろう。
 翻って国内に目を向けてみる。日本人は自らの国をどのように捉えているであろうか。経済は停滞し、政治への不信感は高まっている、財源は不足している。これから日本はどうなってしまうのだろう。これらの見方はあまりにもアジアからの目線とは対照的だ。まさに、希望がない国である。アジア諸国からはリーダーとしての役割を期待されている一方、日本国内にそのような大役を果たすだけの度量の広さがない。この差はどこにあるのだろう。
 現実的に問題を抱えているから悲観的になるのは仕方がない、というのは誤りだ。アジアのどの国も問題は抱えているにも関わらず、識者はあれほど自信に満ちた表情で将来の明るい展望をかたっているのだから。実際に、カル・パキスタン外相もパキスタン国内にテロという大きな問題を抱えていると言う。それにも関わらず、将来の平和や経済発展に向けての思いをあれほどまでに熱く語っていたのだ。
 日本に必要なものはなんであろうか。物理的にはこれほど恵まれている国はそうはない。結局、必要なものは希望の一言に集約されるのではないか。問題一つ一つに対処しつつも、そこに楽観的な視点を持つこと、それが日本に活気を取り戻す上で必要ではないか。杉山外務省アジア大洋州局長によると、Cautious Optimismという言葉があるそうだ。現状の問題には慎重に対処しつつも楽観的であれ、という意味らしい。まさに、今の日本に必要な言葉であると思う。

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